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ふるさと文庫

#10

ふるさと文庫

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『林芙美子 ちくま日本文学020』

林芙美子 著 筑摩書房 刊

「蜒々(えんえん)とした汀を汽車は這っている。動かない海と、屹立した雲の景色は十四歳の私の眼に壁のように照り輝いて写った。その春の海を囲んで、たくさん、日の丸の旗をかかげた町があった」祭りでもあるようだと、その町に降り立った家族がいた。林芙美子と尾道、出逢いの場面である。

「ここはええところじゃ、駅へ降りた時から、気持ちが、ほんまによかった。ここは何ちうてな?」
「尾の道よ、云うてみい」
「おのみち、か?」
「海も山も近い、ええところじゃ」

旅商いの両親のもと、尾道で暮らしはじめた芙美子の子ども時代を綴った短編「風琴と魚の町」(『ちくま日本文学020 林芙美子』に収録)。「学校へ行っとりゃ、ええことがあるに」父親のすすめで、小学校に通いはじめる。

「随分、石段の多い学校であった。父は石段の途中で何度も休んだ。学校の庭は沙漠のように広かった。四隅に花壇があって、ゆすらうめ、鉄線蓮、おんじ、薊(あざみ)、ルピナス、躑躅(つつじ)、いちはつ、などのようなものが植えてあった」

決して裕福とはいえない環境にありながら、芙美子は小学校卒業後、尾道市立高等女学校へと進学する。行商人の娘が女学校へ行くこと、アルバイトをしながらほぼ自力で卒業したことが、当時どれほど異例であったかは想像に難くない。貧しさに少しも委縮することなく、奔放自在かつ繊細に、世の中を見つめた芙美子の意地、そしてその知的向上心は、いかばかりであっただろうか。
尾道駅から歩いてほどなく、「おのみち林芙美子記念館」がある。中庭を挟んで、子ども時代を過ごした「旧林芙美子居宅」がある。木造2階建てのつつましい家。ギシギシ軋む階段を2階へ上がってみる。庭を見下ろす窓から、幼い芙美子は何を見ていたのだろう。
尾道には、この記念館のほか、林芙美子像、おのみち文学の館にも林芙美子記念室がある。2019年3月に完成した新駅舎をはじめ、活気あふれる現在の尾道を、芙美子の視点で散策してみてはいかがだろう。

選書・文 スロウな本屋 小倉みゆき

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