KASAOKA
MAGAZINE ふるさと図鑑
シェアアトリエ 海の校舎
シェアアトリエ 海の校舎|NPO法人 海の校舎 大島東小
瀬戸内海を一望する廃校を
クリエイターの創作活動の場に
2021年、笠岡市にある笠岡市立大島東小学校が、さまざまなクリエイターたちが集う「シェアアトリエ 海の校舎」(以下「海の校舎」)として生まれ変わった。海を望むロケーションと、かつての学び舎の建物をそのまま生かしたこの場所で、個性あふれるクリエイターたちが創作活動を行っている。
145年の歴史に幕を下ろした
大島東小学校
海の校舎の前身である笠岡市立大島東小学校は、1873年(明治6年)に「本村小学」として創立。この場所に校舎や校庭が設置されたのは「大島中尋常小学校」時代の1910年(明治43年)。戦後になり大島東小学校という名称となった。
児童数の減少により、2018年(平成30年)3月に145年の歴史に幕をおろした大島東小学校。同時に敷地内にあった笠岡市立大島東幼稚園も廃園した。通っていた児童・園児は、北側にひと山超えたところにある笠岡市立大島小学校・大島幼稚園へ通園・通学している。
大島東小学校は背後に緑豊かな山を抱き、南側には瀬戸内海が広がるという立地で、校地の南に校庭、北に斜面に沿って3棟の旧校舎が建つ。南から1舎・2舎・3舎となっており、1舎は1956年(昭和31年)完成、2舎は1949年(昭和24年)に現在の校庭に建てられたものを1962年(昭和37年)に現在地へ移築、3舎は1980年(昭和55年)に完成。また校舎のすぐ東側には、旧大島東幼稚園の園舎がある。
入居するクリエイターは
利用者であり運営者
海の校舎を運営するのは「NPO法人 海の校舎大島東小」。代表の南 智之(みなみ ともゆき)さんは、海の校舎の特徴について「さまざまな分野のつくり手の方たちが工房・作業場・事務所などで活用してもらうことを目的として『シェアアトリエ 海の校舎』と名付けました。そのため海の校舎の入居者は、事業者として活動しているクリエイター・つくり手の方を限定としています」と話す。
海の校舎がアトリエ(オフィス)として貸し出しているのは、かつての教室。入居者の分野は多岐にわたり、木工・布・アクセサリー・陶磁・絵画・楽器などの制作をはじめ、デザイン・設計・写真などのものづくりに携わるクリエーターが集まる。南さん自身も木工職人であり、校舎内に工房を構えている。
それぞれの
アイデアと技術を持ち寄る
取材当日、校舎内の事業者を案内してくれた「NPO法人 海の校舎大島東小」理事であり、海の校舎をデザイン事務所として利用する杉本 和歳(すぎもと かずとし)さん。
「海の校舎の強みは、さまざまな分野の専門家が入居しているので、思わぬ連携が生まれることなんです。他分野との交流により、知識や技術が共有されたり、新たなアイデアが生まれるきっかけにもなります。シェアオフィスとコワーキングスペースの良い面をあわせ持っています。目の前に瀬戸内海、裏には山もある自然豊かな環境で、リラックスした状態で仕事に取り組めるのも良いですね」
海の校舎では、入居者は利用者でもあり、イベント企画などの提案を行うなど運営面にも積極的に関わっている。決め事などについてもシェアアトリエ全体で意見交換を行い、風通しのよい関係性を築いているという。
海の校舎で生まれた企画のひとつに、2021年より年に一度開催されるクラフトマルシェ「うみの市」がある。校舎全体と校庭を会場にして、飲食店や県内外のクラフト作家の作品販売のほか、入居者の展示なども行われる。
杉本さんは「うみの市は、初期のメンバーからの提案で始まったイベントです。クリエイターが集結しているのだから、作品を紹介する機会をつくりたいという要望から生まれました。最初はどのくらい人が来ていただけるのか不安でしたが、おかげさまで大盛況でした」と振り返る。
NPO法人 海の校舎大島東小のメンバーには、地域のまちづくり協議会も名を連ねる。「この地域には大島東小学校の卒業生の方が多く、この場所に強い思い入れのある人もいます。地域とともに海の校舎を運営していきたいという思いから、まちづくり協議会の方にも理事として協力をしていていただいています」と南さん。
地域の協力者とともに
ゼロからスタートした海の校舎
木工職人である南さんは当初、海の校舎をシェアアトリエとして利用する予定はなかったという。「もともとは、木工をするための広い作業場を探していたんです。そんな時に大島東小学校が廃校になる話を聞き、工房として利用できそうだと感じました」と、当初の経緯を話す。
学校という施設を工房として使用するだけでは、使用しないスペースがたくさん出るため「もったいない」という思いから空きスペースの活用を思い立った南さん。当時、活動の拠点を札幌から笠岡に移し、工房を構えて木工職人として10年以上一人で活動するなか「自身と同じものづくりに携わるクリエーターとともに施設を活用したい」という思いから、シェアアトリエの構想が固まっていったという。
南さん「その頃ちょうど、同じ考えを持ち笠岡で活動していたSIRUHA(シルハ)の藤本 進司(ふじもと しんじ)さんに出会ったんです。現在、海の校舎にも入居していますが、最初の起ち上げは、私と藤本さんの二人三脚でやってきました。校舎の活用は行政の方にとっても前例のないことでしたので、各方面と交渉を重ねる必要があり、本当に大変でした。手探りで進めて、構想から開業まで約3年かかりました」
開業の約2年前に、タイラーデザイン事務所の杉本さんも運営に積極的に関わることになる。「私はグラフィックデザインやWebデザインが仕事。海の校舎のような事業には、発信する上でも入居者を募るうえでもグラフィックデザインやWebサイト制作の仕事が必要になるので積極的に協力できればと思いました」と、杉本さん。
開業すると約1か月で問い合わせが多く入り、3か月後には早くも入居者が決まったという。
場所を生かし
個性を持ち寄る
現在、海の校舎に入居しているのは18の事業者。一同に口をそろえて「最高のロケーションです。あまりにも景色や雰囲気が良すぎて、ついつい仕事をするのを忘れてしまうほど」と、笑顔で語る。
地域に開き
ともに創りあげていく
新たな息吹を吹き込み、海の校舎として再生した旧笠岡市立大島東小学校。4年目を迎えて運営面や施設の整備など当初には想定していなかったあらゆる課題も出てきているという。
杉本さんは「入居者の多くは『海の校舎は、自分が育てている』というような、自分事の意識を持っています。意見が出しやすい環境づくりも大切ですし、入居者みんなでこの場所をより良くしていきたい」と話す。
今後、クリエイター以外の人にも活用してもらうことを目的に、3舎の最上階にある旧音楽室をコワーキングスペースとして利用できるように整備を始めている。「校舎で一番高い場所ですから、眺めは抜群ですよ」と南さん。
海の校舎は月に1度(1・4月を除く)、第1日曜日を「開放日」としており、入居者・関係者以外も校舎内を見学できる。また、毎年春にクラフトマルシェ「うみの市」も開催。
穏やかな瀬戸内海に面した145年以上の歴史がある学び舎は、地元のクリエイターの創作の場として、そして地域に開いた場として今後も進化を続ける。
(2024年2月取材)
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