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ふるさと文庫
#01
ふるさと文庫
BOOKS
『阿房列車』
内田百閒 著 筑摩書房 刊
「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」 まだ「乗り鉄」という言葉もない時代、粋狂な鉄道の旅を愉しんだ作家がいました。内田百閒。明治22(1889)年、岡山市生まれ。東大独文科在学中に夏目漱石門下となった百閒が、戦後世の中が落ち着いてきた頃試みた鉄道旅、それが紀行文学『阿房列車』です。
連作『阿房列車』は、昭和25(1950)年~昭和30(1955)年にかけて行った、14回の旅の記録です。東北から九州まで、その走行距離は2万5000キロ越、当時の国鉄の全路線のキロ数を上回ったと言います。紀行文には、「ちっとも帰らないけれど、郷里はなつかしい」と、岡山の風景がしばしば描かれます。
「吉井川の鉄橋にかかった。吉井の鉄橋は川の中で曲がっている。曲がった鉄橋と云うのは、他に例があるか知ら。子供の頃、高等小学で先生から教わった話では、日本中どこにもない、吉井川の鉄橋だけだと云う事であったが、そう教わった当時から五十年の歳月が過ぎている。一たん曲がって架かった橋は、五十年経っても、ぴんと真直ぐにはならないが、日進月歩の鉄道の事であるから、その間どこか外の所の川で、曲がった鉄橋を架けていないとは限らない」
「瀬戸駅を過ぎる頃から、座席の下の線路が、こうこう、こうこうと鳴り出した。遠方で鶴が啼いている様な声である。何年か前に岡山を通過した時にも、矢張りこの辺りからこの通りの音がしたのを思い出した。快い諧音であるけれども、聞き入っていると何となく哀心をそそる様な気がする」
百閒の旅に常に同行した「ヒマラヤ山系」こと平山三郎に、岡山を説明しようと試みる下りも。「砂塵をあげて西大寺駅* を通過した。じきに百間川の鉄橋である。自分でそんな事を云いたくないけれど、山系は昔から私の愛読者である。ゆかりの百間土手を今この汽車が横切るのだから、一寸一言教えて置こうと思う」
一時停車中の岡山駅に、旧友からの差し入れが届きます。「これから博多、八代へ行くところなのに、東京へ持って帰るお土産の大手饅頭を、箱入りと竹の皮包みと、私が時時夢に見る程好きな事を知っているものだから、持ち重りがする位どっさり持ってきてくれた。饅頭に圧し潰されそうだが、大手饅頭なら潰されてもいい」
常に時間に追われ、目的地へと急ぐ現代の私たち。いま必要なのは、「阿房列車」的時間、なのかもしれません。
*注:現在の東岡山駅
選書・文 スロウな本屋 小倉みゆき
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