YAKAGE
MAGAZINE ふるさと図鑑
佐藤玉雲堂
矢掛柚べし|佐藤玉雲堂
江戸時代から伝え継ぐ
掌から生まれる矢掛の和菓子
小田郡矢掛町の中心部に、江戸時代、西国街道(近世山陽道)の宿場「矢掛宿」として多くの人が行きかい繁栄した、歴史ある古い建物が建ち並ぶ町並がある。
矢掛では古くから、ユズを使った菓子「柚べし(柚餅子/ゆべし)」が銘菓として製造・販売されている。矢掛宿の町並に店舗を構える和菓子店「佐藤玉雲堂(さとうぎょくうんどう)」は、190年以上の長きにわたり江戸時代とほぼ同じ製法を守り、矢掛の歴史と文化である柚べしをつくり続け、今に伝えている。
西国街道随一の宿場として
栄えた矢掛宿
矢掛宿は江戸時代、西国街道随一の宿場として栄えた歴史ある街である。多くの旅人が行きかい、参勤交代では大名行列が繰り広げられた。現在でも古い町並が残されており、通りを歩くと歴史ある風情を感じる。大名や幕府の要人など位の高い者が宿泊する「本陣」と、その補助的な役割の「脇本陣」の両方が現存しているのは全国でも矢掛宿のみで、矢掛宿の町並は、2020年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。
矢掛町は、2021年に「道の駅 山陽道やかげ宿」を設立。施設内にはあえて飲食店やお土産店を設けず、隣接する商店街に足を運んでもらう町の総合案内所とした。また、街全体が古い建物を生かした分散型宿泊施設「アルベルゴ・ディフーゾタウン」として認定されるなど、歴史ある町並みが世界から注目を集めている。
天保元年より製造する
矢掛銘菓「柚べし」
矢掛宿の古い町並の一角で、柚べしを製造している老舗の和菓子店「佐藤玉雲堂」。創業は、江戸時代後期の天保元年。大政奉還の30数年前の時代で、190年以上の歴史がある佐藤玉雲堂では、創業時より長きにわたって柚べしを製造・販売し続けている。
現在、店を切り盛りするのは九代目となる佐藤 潤(さとうじゅん)さん・彩子(あやこ)さん夫妻。「かつては街道沿いや周辺に、たくさんの柚べし屋が軒を連ねていたと聞きます。その後、徐々に減少していき現在は、柚べし屋は当店1軒のみとなりました。矢掛の伝統を後世に残すため、身が引き締まる思いです」と彩子さんは話す。
東京で別の仕事をしていた当時、家業を継ぐつもりはなかったという彩子さん。佐藤映子さん(八代目)とともに佐藤玉雲堂を切り盛りしていた父・佐藤博通さんの体調不良を機に、退職して帰郷。夫婦で家業を継ぐ決心をした。
昔ながらの製法を守りながら
現代に合わせて進化
現在、佐藤玉雲堂では「柚べし(通称:棒柚べし)」「丸柚べし」「小夜千鳥(さよちどり)」「吉備の雪」の4種類の柚べしを製造している。柚べしと丸柚べしの製造は江戸時代から始まり、小夜千鳥と吉備の雪は明治時代になり新たに加わった。「どの柚べしも、昔ながらの製法を現在も守りながら製造しています。どれも製造には時間がかかり、早いものでも完成するまで2日かかります。大量生産はできませんが、一つひとつ丁寧に心をこめて手づくりしています」と彩子さん。
発売当時と変わらない竹の皮に包まれた包装を開けると、中には茶色く長細い形状の柚べし(棒柚べし)が現れる。モッチリとした食感とともに、ほんのりユズの爽やかな風味と、甘味を感じる。材料は餅粉・味噌・砂糖・ユズ皮。彩子さんによると「味噌は特注品です。古くは保存食だったので塩味の強い味噌を使っていましたが、冷蔵技術の発達と健康志向で塩分が控えめの方が好まれますので、塩分の少ない味噌を使っています。ユズ皮も昔は塩漬けしたものを使っていましたが、今は冷凍保存されたユズ皮を使用しています。製法は同じでも、昔は今よりも塩味が強かったですね」。
柚べしづくりの工程は、まず材料を鍋に入れてかき混ぜ、約6時間かけて蒸しあげる。そしてよく練り上げたあと一晩寝かし、竹の皮に包んでもう一度蒸す。最後にヘラで形を整えながら、柚べしの中の空気を抜いていく。「日ごとの温度・湿度や季節ごとの気候に合わせ、蒸し時間を調整する必要があります。これがとても難しいんです」と彩子さん。
柚べしは製造後、時間を経るごとに柔らかさや食感、味わいが変化していくという。いつ食べるかによって味が変わるので、いろいろな楽しみ方ができるのも魅力のひとつ。できたての柚べしは柔らかく、お餅のようにモッチリとした食感。時間がたつと硬めの食感になり、弾力ある舌触りに変化する。
彩子さんのおすすめは、出来立ての柔らかい状態だという。硬くなった柚べしは電子レンジで温めると、できたてのような柔らかさになる。「お客さんによっては、硬めの食感を好んで、硬くなるまで待つ方もいらっしゃいます。それぞれのお好みの食べ方で楽しんでいただけたら」。
江戸から明治に繋ぐ
通好みに愛され続ける和菓子
丸柚べしは、大きなユズ1個を丸ごと使用する。製造はまずユズの中身をくりぬき、中に棒柚べしとほぼ同じものを詰めて蒸しあげ、1〜2か月天日干しにして完成する。非常に手間暇かかる商品だ。
できあがった丸柚べしの皮はカチカチに硬くなっており、これを薄くスライスして食べる。おやつや茶菓子として食べられるほか、料亭などでは吸物に入れたりすることも。なかにはスライスした丸柚べし2枚のあいだにチーズを挟んで、ウィスキーやワインのおつまみとして楽しむ人もいるという。
「小夜千鳥」は、明治時代に生まれた柚べし。ユズ皮をミンチのように細切りにし砂糖とともに直火で鍋で練り上げ、黄色いユズ皮が茶色美しいベッコウ色になると、手で一口大に丸めて丁寧に成形する。「小夜千鳥は、ネチッとした独特の食感。ほかの柚べしよりも少しほろ苦さがあってユズの風味が一番楽しめる商品です」。
「吉備の雪」も、同じく明治時代に登場した。白い羽二重餅(求肥)の中に、細かく刻んだユズ皮が入った柚べしだ。細長くひも状にしたものを結んだタイプのほか、四角い板状のタイプがある。また四角い板状の吉備の雪を、一口サイズのサイコロ状にカットした「吉備の柚っこ」という商品も。彩子さん「吉備の雪は4種類の柚べしの中では、どなたにでも好まれる味だと思います。結んだタイプより板状のタイプの方が、中に入っているユズ皮が大きいので、ユズの風味がより楽しめますよ」。
明治になり製造する種類が徐々に増えていった柚べし。「明治時代になり庶民にもお茶をたしなむ風習が広まったことで、茶菓子としていろいろな種類を求められるようになったことも理由のひとつかもしれません」と彩子さん。
篤姫が愛した逸品
武者小路実篤も好物に
佐藤玉雲堂の柚べしは、歴史上の人物や著名人にも好まれたという。なかでも有名なのが、大河ドラマの主人公にもなった篤姫(天璋院)だ。「2008年に大河ドラマが放送されましたが、そのとき設定上は海路で薩摩から江戸に渡ったことになっていました。しかしちょうど大河ドラマを放送していた2008年に、矢掛本陣だった石井家から当時のことを記録した宿帳が発見されたのです。それにより、篤姫は海路ではなく陸路で江戸へ向かい、途中で矢掛本陣に宿泊したことがわかります」と彩子さん。
「宿帳には篤姫に菓子を献上し、その中のひとつに柚べしがありました。篤姫は、柚べしをとても気に入り。当店の柚べしを85個も大量に購入したと記録されています。現代でいうと”爆買い”でしょうか(笑)。85個も買ったのは決して一人で食べるためではなく、一行で分け合うためと考えられています。篤姫以外に家臣たちも、柚べしを買っていたようです」。篤姫が陸路で江戸に向かい、柚べしを大量に買ったという発見が話題となり取材が殺到。NHKも、大河ドラマの内容と異なる事実がわかったという特集番組を放送した。
ほかにも作家・武者小路実篤も、佐藤玉雲堂の柚べしがお気に入りだったという。彩子さんによると「当店が七代目だった時代に、武者小路先生は当店の丸柚べしが好物でした。毎年、丸柚べしができるころになると『そろそろ今年も丸柚べしができたか?』と催促の電話をかけてきたと聞いています」。
現在でも佐藤玉雲堂の柚べしをはじめとする商品は、多くの人を魅了。全国各地から注文が来ているという。
伝統菓子に
アイデアとセンスをプラス
もともと柚べし専門店だった佐藤玉雲堂は、八代目・映子さんによって柚べし以外のラインアップを増やしていった。映子さんが生みだした商品は多岐にわたり、ユズの輪切りを白餡の煉羊羹の上に並べた「柚子ようかん」をはじめ、栗を使った「栗ようかん」、矢掛の名産である干し柿を使った「柿子」などがある。いずれも味はもちろん、見た目も美しい。
映子さんは「色々なお菓子の構想が頭に浮かんでいました。代替わりしたら、絶対に試してみたいと思っていたんです。私の代になって、最初につくった柚べし以外の商品が『柚子ようかん』でした」と当時を振り返る。
映子さんが生みだした商品の中でも、特筆すべきものが「花柚子」だ。花柚子は直径4cmほどの小ぶりのユズを蜜煮にし、中をくりぬいて「柚子ようかん」を詰めた小さな逸品。使っているユズは「多田錦(ただにしき)」という希少な高級品種。蜜煮にしたユズ皮の苦味と香り、中に詰めたほの甘い羊羹が絶妙な味わいの花柚子は、第27回全国菓子大博覧会で最高賞を受賞するなど、高い評価を得た。
新たな商品で華を添える
薄いせんべいの上に、さまざまな押し花がプレスされた見た目も華やかで美しい「花せんべい 彩(いろどり)」。映子さんは「これはもともと商品ではなくて、娘の成人の記念につくったものでした。『彩(いろどり)』という名前も、彩子から取っています。常連さんのあいだで口コミで広がって『私にも売ってほしい』とお願いされるようになって商品化したんですよ」と微笑む。
せんべいは手づくりで、色づけはサツマイモ・鹿児島産紅イモ・カボチャ・ホウレンソウなど天然のものを使用。せんべいにプレスされた押し花は、すべて食べることができる。包装の裏側には花の名前が書いてあり、可愛らしい花の名前を知ることができる点も魅力だ。
押し花に使う花は映子さんが自ら採取したもののほか、近所の方が栽培したものも。そのストックは、なんと90種以上にのぼるという。映子さんが一つひとつ押し花にして保存し、せんべい製造のときに使用している。映子さんは「花せんべい 彩は、女性に人気が高い商品です。”食べられる花束”のような感覚で、大切な人への贈答品として買っていってくださる方が多いですね」と話す。
柚べしを通じて
矢掛の食文化を後世へ伝える
矢掛に住む人は自宅用に柚べしを買うことは少なく、主には手土産用に購入することが多いという。そのため、矢掛では子どもの頃に柚べしを食べたことがなかったり、矢掛の銘菓だと知らなかったりすることも珍しくないそうだ。佐藤玉雲堂では、10数年前から郷土学習の一環として地元の小学校を訪問、柚べしの歴史を紹介したり、実際に食べてもらったりする活動を行なっている。「最初の頃に教えた小学生がもう大人になっている年齢です。街で私の顔を見て柚べし屋の人だと認識してくれていて、気さくに挨拶をしてくれるのが嬉しいです。その子たちは柚べしが矢掛の伝統銘菓だと認識していますし、誇りに思ってくれているようです。柚べしを通して矢掛の歴史・文化を、後世に伝えていけたらと願っています」。
地域に根を張り、伝統を守り続けながら新しいものを生み出す佐藤玉雲堂。「美味しかった」「買い物にきて楽しかった」そんな言葉に支えられながら、今日も家族で歩み続ける。
(2024年2月取材)
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